バリ島関係の記事ー爆弾テロ後遺症重くー仕事は5分の1
2007.04.04 Wednesday
2007年3月13日付け
バリ島 爆弾テロ後遺症重く 嘆きのガイド「仕事は5分の1」
FujiSankei Businessの記事より
FujiSankei Business バリ島 爆弾テロ後遺症重く
バリ島は爆弾テロ以降景気が凍りついたままと言われていますが、
(本ブログでの現地の様子は、
バリ島 ウブド2007年2月上旬までの観光客の出足
バリ島の未来を現地の若者はどう考える?
これらの記事にあります。)
こんな記事がありました。
ちょっと遅くなってしまいましたが。ご紹介します。
以下記事を転載します。
**
バリ島 爆弾テロ後遺症重く 嘆きのガイド「仕事は5分の1」
FujiSankei Business i. 2007/3/13
東南アジア随一のリゾート地、インドネシアのバリ島が、アルカーイダ系組織による爆弾テロの重い後遺症に苦しんでいる。観光客激減で日本語観光ガイドはテロ前に比べ「仕事は5分の1」と嘆く。政府のテロ対策も依然すきだらけだ。
≪農作業8カ月≫
2002年10月、テロは南部の繁華街クタにあるディスコ「サリ・クラブ」前で発生。自動車爆弾が爆発し、202人が死亡した。現場は今もさら地のままで、「世界を変える最強の武器は教育だ」というマンデラ前南アフリカ共和国大統領の言葉を書いた垂れ幕が風にはためく。
05年10月にも、5キロ離れたジンバランのシーフードレストランなど3カ所で自爆テロがあり、20人が犠牲に。これらの死者数はバラバラになった遺体から身元が判明した分だけで、今も行方不明の身内の帰りを待つ家族が島に多い。
観光は大打撃を受けた。ホテルで働くゲデ・ウィディアストラさん(37)は「02年のテロ発生時、ちょうどホテルが満室で客を別のホテルに案内するところだった。翌日から宿泊客は空港に殺到して帰国し、閑古鳥が鳴くような状況になった」と回想する。
島に4600人もいる日本語ガイドも仕事を失う。その一人、オリム・イスマヤさん(38)は「02年10月から8カ月間、全く仕事がなかった」と振り返る。畑を借りて果物を作っていたが、最近ようやく仕事が増えてきた。「もうじき日本が連休になる。みんな戻ってきてくれる」とタクシー運転手は期待を込めた。
≪治安は盤石?≫
バリ島や首都ジャカルタでは、ホテルやビルの前で今も金属探知機を使った空港並みの身体検査が行われ、観光客を驚かせる。04年10月のユドヨノ大統領就任以来、インドネシアは大規模なテロとは無縁だ。治安対策は盤石に見える。
ただ、「もともとペランペラン(ゆっくり)、キラキラ(いいかげん)のお国柄。過激思想向きではない」(外交筋)のがインドネシアだ。スハルト独裁政権崩壊後の自由化で一時的にテロ組織ジェマ・イスラミア(JI)の過激思想が流入したものの、「結局民衆には根付かなかった」(日本企業関係者)とされ、沈静化はユドヨノ政権とは無関係との見方もある。
≪大統領は「熟考」≫
一方で今年に入り、02年のテロ事件で死刑判決を受けたアリ・グフロン死刑囚が、監獄内から携帯電話を使って外部のイスラム過激派と連絡を取っていたことが判明。昨年は共犯の死刑囚がパソコンで獄中から外部とメールのやりとりをしたことが発覚した。わいろさえ渡せばやりたい放題の刑務所で、テロ活動をどこまで封じ込めているのか疑わしい。
「考えてばかりで何もしない」と批判される「熟考型」のユドヨノ大統領の「熟考」が長引けば、いつまたリゾートをテロが襲うか分からない。(バリ島 時事)
**
バリ島 爆弾テロ後遺症重く 嘆きのガイド「仕事は5分の1」
FujiSankei Businessの記事より
FujiSankei Business バリ島 爆弾テロ後遺症重く
バリ島は爆弾テロ以降景気が凍りついたままと言われていますが、
(本ブログでの現地の様子は、
バリ島 ウブド2007年2月上旬までの観光客の出足
バリ島の未来を現地の若者はどう考える?
これらの記事にあります。)
こんな記事がありました。
ちょっと遅くなってしまいましたが。ご紹介します。
以下記事を転載します。
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バリ島 爆弾テロ後遺症重く 嘆きのガイド「仕事は5分の1」
FujiSankei Business i. 2007/3/13
東南アジア随一のリゾート地、インドネシアのバリ島が、アルカーイダ系組織による爆弾テロの重い後遺症に苦しんでいる。観光客激減で日本語観光ガイドはテロ前に比べ「仕事は5分の1」と嘆く。政府のテロ対策も依然すきだらけだ。
≪農作業8カ月≫
2002年10月、テロは南部の繁華街クタにあるディスコ「サリ・クラブ」前で発生。自動車爆弾が爆発し、202人が死亡した。現場は今もさら地のままで、「世界を変える最強の武器は教育だ」というマンデラ前南アフリカ共和国大統領の言葉を書いた垂れ幕が風にはためく。
05年10月にも、5キロ離れたジンバランのシーフードレストランなど3カ所で自爆テロがあり、20人が犠牲に。これらの死者数はバラバラになった遺体から身元が判明した分だけで、今も行方不明の身内の帰りを待つ家族が島に多い。
観光は大打撃を受けた。ホテルで働くゲデ・ウィディアストラさん(37)は「02年のテロ発生時、ちょうどホテルが満室で客を別のホテルに案内するところだった。翌日から宿泊客は空港に殺到して帰国し、閑古鳥が鳴くような状況になった」と回想する。
島に4600人もいる日本語ガイドも仕事を失う。その一人、オリム・イスマヤさん(38)は「02年10月から8カ月間、全く仕事がなかった」と振り返る。畑を借りて果物を作っていたが、最近ようやく仕事が増えてきた。「もうじき日本が連休になる。みんな戻ってきてくれる」とタクシー運転手は期待を込めた。
≪治安は盤石?≫
バリ島や首都ジャカルタでは、ホテルやビルの前で今も金属探知機を使った空港並みの身体検査が行われ、観光客を驚かせる。04年10月のユドヨノ大統領就任以来、インドネシアは大規模なテロとは無縁だ。治安対策は盤石に見える。
ただ、「もともとペランペラン(ゆっくり)、キラキラ(いいかげん)のお国柄。過激思想向きではない」(外交筋)のがインドネシアだ。スハルト独裁政権崩壊後の自由化で一時的にテロ組織ジェマ・イスラミア(JI)の過激思想が流入したものの、「結局民衆には根付かなかった」(日本企業関係者)とされ、沈静化はユドヨノ政権とは無関係との見方もある。
≪大統領は「熟考」≫
一方で今年に入り、02年のテロ事件で死刑判決を受けたアリ・グフロン死刑囚が、監獄内から携帯電話を使って外部のイスラム過激派と連絡を取っていたことが判明。昨年は共犯の死刑囚がパソコンで獄中から外部とメールのやりとりをしたことが発覚した。わいろさえ渡せばやりたい放題の刑務所で、テロ活動をどこまで封じ込めているのか疑わしい。
「考えてばかりで何もしない」と批判される「熟考型」のユドヨノ大統領の「熟考」が長引けば、いつまたリゾートをテロが襲うか分からない。(バリ島 時事)
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